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月別アーカイブ: 2009年 8月
楽しみ上手な人々!!!
数々のリクエストを交えてTOMOKOのピアノ、
ピアノ生演伴奏での熱唱、
そして仕上げはダーツ!
限られた時間を目一杯楽しんでいらっしゃいました。
すべての事の楽しみ方をよくご存知の、
人生の達人なのかもしれませんネ!!!
WAKAMONO会
多少腹ごしらえをされて来たのでしょうか、話に夢中で折角のお料理も箸が進まない様子。
でもビーフシチューは、バカ売れでした。
皆さんお代わりをしてくださって、中には三杯も召し上がった女性もいらっしゃいました。
嬉しかったワ!!
素敵な若者たちばかりで、お店が華やぎました。
また来てくださいネ!!!
オーシャン激励会
一部「はぐれ雲」では渋沢先生役、二部「ショー」では宇宙船艦ヤマトを熱演・熱唱していました。
その後ステラに帰り打上会。
例により劇評はあまり話題になりません。
ご苦労さん賞で出された「村尾」をアッという間に空け、
ただ楽しくガンガン飲みました。
これで又来週も元気で働けるぞ~!!!
この日何の日会
ワインの会8月例会
8月15日に寄せて-2 どうして特攻作戦は生まれたか
ミッドウエー海戦に破れ不利な戦局に立たされた海軍は、昭和19年10月、大西瀧治郎中将指揮の元、初の「神風特別攻撃隊」がフィリピン基地から出撃した。
人間の体を兵器代わりにして体当たりする『特攻作戦』は、これまで現場将兵の熱意から始まったとだけ伝えられてきた。
しかし、海軍反省会のテープは、「神風特別攻撃隊」の一年以上前から『軍令部』が現場の熱意とは別に組織的に計画、特攻兵器を作り続けてきたことを赤裸々に語った。人間魚雷「回天」、自爆ロケット「桜花」、自殺ボート「震洋」など新型兵器と称し作られてきたのだ。さらに『軍令部』の元参謀は「特攻」はあってはならない作戦と自覚しながらも、その計画を推進してきたとを自戒する。
ここでも「組織の原理」が優先した。過ちと知りながら『特攻』を推進した彼らは、やはり大勢に抗うことをためらっていたのだった。「臆病者」「非国民」の怨嗟の声を恐れて。
このことは現在でもある。稟議書の『やむなし』がこれだ。消極的賛成だと思ったら、実は消極的反対だという。ある総理経験者は大蔵官僚時代、意思に反してどうしても捺印しなければならない時、印を逆さにして押していたという。しかし彼は自らの信念を曲げたことには変わりないのだ。
最近の「特攻」を扱った映画やドラマに、気にかかる所がある。あまりにも彼らの行動や心情を美化しすぎてはいないだろうか。
海軍から始まり陸軍にも浸透していった『特攻』で亡くなった将兵は五千人を超すという。殆どの特攻隊員は下士官と兵、それと学徒動員の士官(将校)である。問題は二十歳前後の若い彼らに特攻を命じた体制の責任を不問にしておきながら、情緒のみを美化する傾向に、再度同じ過ちを犯す可能性はないだろうか、というところだ。
「やましき沈黙」、誰にも非難できないことかもしれないが、勇気があれば誰でも破れることなのだ!!!
8月15日に寄せて-1 日本はなぜ米国との開戦に踏み切ったのか
8月9日から11日まで、3回に分けて放映された「日本海軍 400時間の証言」と題したNHKスペシャルを見た。
戦後35年を経過した昭和55年から11年間、海軍の中枢であるエリート集団『軍令部』のメンバーが中心となって、秘密裏に集まり「海軍反省会」が行われた。生存中は絶対非公開を条件に開戦にいたるまでの経緯や、その裏で行われた政府・陸軍・皇族に対する工作について話し合われたのだ。
軍令部(ぐんれいぶ)とは日本海軍の中央統括機関(海軍省と共同で行う)である。海軍省が内閣に従属し軍政・人事を担当するのに対し、軍令部は天皇に直属し、その統帥を輔翼(ほよく)する立場から海軍全体の作戦・指揮を統括する。
昭和6年陸軍は閑院宮殿下を陸軍参謀総長に頂いたことに対抗して、昭和7年に海軍の軍令部総長に伏見宮博泰王が就任した。
伏見宮は皇族には稀な海軍生え抜きの軍人で、日露戦争以来艦長や艦隊司令官を歴任し、昭和天皇の26才年上で陛下も一目置かれていたという。
軍令部は皇族の威光と統帥権を傘にきて、今まで陸軍に比べて相対的に地位の低かった海軍の権威拡張を図ろうとしたのだった。
昭和12年陸軍は日中戦争に突入し、広大な中国全土で戦線を拡大していった。これに危機感を抱いていた米英は昭和16年8月対日石油輸出禁止に踏み切った。陸軍からはこの伸びきった戦線の兵站維持のため、東南アジアの権益を確保するよう対米決戦の圧力がかかった。
このまま傍観していれば、いずれ陸軍による武力クーデターが発生し、海軍は陸軍勢力のもとに飲み込まれてしまう。軍令部には組織壊滅危機の戦慄が走った。
軍令部佐官クラスの青年将校たちは上層部の意向を無視して、海軍の予算獲得と権威拡張のため勝利確実の戦勝見積を行い、組織を守るため国民や国家の命運を無視し、無謀な開戦を計画・推進したという。
組織に生きる人間として、大勢に逆らい「戦争回避」とは言い出せなかった経緯も生々しく伝えている。これを彼らは「やましき沈黙」と反省しているが、組織のために組織を守る、このことは現在の官僚組織、いや民間組織にも言えることではないだろうか。