ミッドウエー海戦に破れ不利な戦局に立たされた海軍は、昭和19年10月、大西瀧治郎中将指揮の元、初の「神風特別攻撃隊」がフィリピン基地から出撃した。
人間の体を兵器代わりにして体当たりする『特攻作戦』は、これまで現場将兵の熱意から始まったとだけ伝えられてきた。
しかし、海軍反省会のテープは、「神風特別攻撃隊」の一年以上前から『軍令部』が現場の熱意とは別に組織的に計画、特攻兵器を作り続けてきたことを赤裸々に語った。人間魚雷「回天」、自爆ロケット「桜花」、自殺ボート「震洋」など新型兵器と称し作られてきたのだ。さらに『軍令部』の元参謀は「特攻」はあってはならない作戦と自覚しながらも、その計画を推進してきたとを自戒する。
ここでも「組織の原理」が優先した。過ちと知りながら『特攻』を推進した彼らは、やはり大勢に抗うことをためらっていたのだった。「臆病者」「非国民」の怨嗟の声を恐れて。
このことは現在でもある。稟議書の『やむなし』がこれだ。消極的賛成だと思ったら、実は消極的反対だという。ある総理経験者は大蔵官僚時代、意思に反してどうしても捺印しなければならない時、印を逆さにして押していたという。しかし彼は自らの信念を曲げたことには変わりないのだ。
最近の「特攻」を扱った映画やドラマに、気にかかる所がある。あまりにも彼らの行動や心情を美化しすぎてはいないだろうか。
海軍から始まり陸軍にも浸透していった『特攻』で亡くなった将兵は五千人を超すという。殆どの特攻隊員は下士官と兵、それと学徒動員の士官(将校)である。問題は二十歳前後の若い彼らに特攻を命じた体制の責任を不問にしておきながら、情緒のみを美化する傾向に、再度同じ過ちを犯す可能性はないだろうか、というところだ。
「やましき沈黙」、誰にも非難できないことかもしれないが、勇気があれば誰でも破れることなのだ!!!