8月9日から11日まで、3回に分けて放映された「日本海軍 400時間の証言」と題したNHKスペシャルを見た。
戦後35年を経過した昭和55年から11年間、海軍の中枢であるエリート集団『軍令部』のメンバーが中心となって、秘密裏に集まり「海軍反省会」が行われた。生存中は絶対非公開を条件に開戦にいたるまでの経緯や、その裏で行われた政府・陸軍・皇族に対する工作について話し合われたのだ。
軍令部(ぐんれいぶ)とは日本海軍の中央統括機関(海軍省と共同で行う)である。海軍省が内閣に従属し軍政・人事を担当するのに対し、軍令部は天皇に直属し、その統帥を輔翼(ほよく)する立場から海軍全体の作戦・指揮を統括する。
昭和6年陸軍は閑院宮殿下を陸軍参謀総長に頂いたことに対抗して、昭和7年に海軍の軍令部総長に伏見宮博泰王が就任した。
伏見宮は皇族には稀な海軍生え抜きの軍人で、日露戦争以来艦長や艦隊司令官を歴任し、昭和天皇の26才年上で陛下も一目置かれていたという。
軍令部は皇族の威光と統帥権を傘にきて、今まで陸軍に比べて相対的に地位の低かった海軍の権威拡張を図ろうとしたのだった。
昭和12年陸軍は日中戦争に突入し、広大な中国全土で戦線を拡大していった。これに危機感を抱いていた米英は昭和16年8月対日石油輸出禁止に踏み切った。陸軍からはこの伸びきった戦線の兵站維持のため、東南アジアの権益を確保するよう対米決戦の圧力がかかった。
このまま傍観していれば、いずれ陸軍による武力クーデターが発生し、海軍は陸軍勢力のもとに飲み込まれてしまう。軍令部には組織壊滅危機の戦慄が走った。
軍令部佐官クラスの青年将校たちは上層部の意向を無視して、海軍の予算獲得と権威拡張のため勝利確実の戦勝見積を行い、組織を守るため国民や国家の命運を無視し、無謀な開戦を計画・推進したという。
組織に生きる人間として、大勢に逆らい「戦争回避」とは言い出せなかった経緯も生々しく伝えている。これを彼らは「やましき沈黙」と反省しているが、組織のために組織を守る、このことは現在の官僚組織、いや民間組織にも言えることではないだろうか。